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ヒロシくん、ハイ!- カメラマン石川寛・ゆるエッセイ vol.1

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シンパシーの先にあるものは、ナマモノだった?


もっと若いと思っていたよ、とよく言われる。

残念ながら見た目の事ではない。「あなたはまるで3歳児のようですね。」とか「私には5歳になる息子がいるけど行動があなたにそっくりだ。」とか言われるのだ。しかし私は50を超えたおっさんである。

ある日、歌舞伎役者の中村屋一家のドキュメンタリーが面白いと友人に薦められたので見てみた。基本的には早世した18代中村勘三郎の思い出と、その二人の息子勘九郎と七之助の活躍にフォーカスした番組なのだが、面白いのは年端もいかない勘九郎の2人の息子(勘三郎にとっては孫にあたる)の勘太郎くんと長三郎くんを映したパートである。ふたりの性格はとても対照的なのだが、私はなんだか次男の長三郎くんの方に見過ごせないシンパシーを感じてしまったのだ。

長男勘太郎くんはいかにも優等生といった感じで、稽古も熱心に取り組み覚えも良く、周りの大人達も安心して見守っている。一方の次男長三郎くんはというと、稽古をしていても台詞の覚えも良くなく、同じ箇所を何度も間違えてこっ酷く怒られていたりして周りの大人達はいつも冷や冷やしている。しかしいざ本番の公演になると台詞もスラスラと出て、演技も完璧。周りの大人達はホッと胸を撫で下ろし、やれば出来るじゃないのと評価されるのである。
 
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かくいう私も稽古嫌いだ。俳優ではないから稽古ではないのだけれど。
私の仕事で最も多いのが食べ物や化粧品といったものを撮影する仕事、いわゆる“ブツ撮り”というやつだ。“ブツ撮り”とは動かないものを対象にする撮影であるが故、じっくりと取り組める良さがある一方、どうしても仕上がりに生命感が失われがちだ。しかし、私は例え“ブツ撮り”であっても生命感がない写真は撮りたくないと思っている。人物撮影では被写体が生きているので普通に撮っても生命感はある程度担保されるのだが、“ブツ”は所詮“ブツ”である。

よって私は“ブツ”にこそ生命を宿さなければならないと感じている。

生命を宿す事によって写真で表現出来るものとはエロティシズムであり、さらに死をも表現出来ればより生命感を感じられる写真になるはずなのだ。この話はまたいずれ。

で、何が言いたいのか。長三郎くんにおける稽古にあたるものは“ブツ撮り”ではテスト撮影や繰り返される打合せのようなものを指すのだろう。

私はテスト撮影や打合せが嫌いである。ほとんど聞いてない時もあるほどだ。必要なのは分かるのだがそういうものをやればやるほど逆に本番の撮影の瞬間までに生命感が消えて無くなってしまうような気がするのだ。テストや打合せは撮影の段取りを決めるものが殆どである。段取りも大事だがその時にしか生まれない生命感の方がもっと大事だと思う。

分かりやすく言えば好みの異性が突然目の前に現れたとする。あなたはドキドキしてどうしていいか分からなくなる。そのような気持ちで撮った写真は間違いなく良い写真だ。ドキドキが写って何とも魅力的な写真になっている事だろう。つまり、例え対象がブツであったとしてもドキドキしながら撮りたいのだ。だからドキドキを減退させるテストや打合せは嫌いなのだ。

こういった発言は、子供じみたものとして受け取られがちだ。

ちなみにシンパシーを感じる長三郎くんの年齢は3歳。
結局私は50を越えてなお、本能のままに生きる3歳児と同等という事なのだろう。



 
文:石川寛
イラスト:丸岡和世


 


石川 寛
東京に生まれる。幼少期より絵画を学び、東京造形大学絵画専攻卒業後、写真に転向。以後、フードやコスメティックを中心とした広告写真の世界で活動しながら、広告写真で培ったテクニックと絵画的アート表現を組み合わせた作品を制作する。広告写真家としての実績の他、映像ではシズルディレクターとしてもそのダイナミックな表現力が高い評価を受ける。近年では、パティシエ辻口博啓氏が創作する「LE CHOCOLAT DE H」のビジュアル開発など、自らコンセプトを考えアートディレクションまで行う。Food Film Festival 2019 にて Food Filmmaker of the Year Awardを受賞。主な広告クライアントに ハーゲンダッツ、マクドナルド、キリン等。


 

石川 寛Hiro Ishikawa

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