8 Nov 2019
流される宿命だとしても、その瞬間を残したい。 フォトグラファー髙梨遼平インタビュー
アマナでインハウスのフォトグラファーとして活動して12年目を迎える髙梨遼平。
2年前「コマーシャル・フォト」の表紙を飾り特集され、注目された。絵画から着想を得ることが多いという写真は油絵のマチエールのような重層性があり、そこに日本の漫画やアニメの要素がハイブリッドされ濃密な熱情を放つ。広告写真で様々な賞も獲り、活躍の場を広げる髙梨遼平に聞いたクリエイティブと組織に所属することの狭間での想い。
——最初に。髙梨さんの原風景を聞かせてください。
父の背中ですかね。
父は油絵の絵描きなんですが、子どもの頃アトリエと住居スペースが一緒になってる古い借家に住んでて、そこに朝から晩までずっと父がいました。ある時、友だちと遊ぼうと連れて帰ってきたら、裸でダンベルトレーニングしていたこともあって(笑)。
「やだな……」と思いながらも、どこかで、決まった時間に通勤する大人より、父みたいな自由な大人になったほうがおもしろそうだとも感じていました。
——髙梨さんの作品が絵画的に見えるのはお父さんの影響ですか。
身近な環境に絵があったので、そこは親に感謝してます。
構図、光の質感、配色、全て絵から学びました。
——多摩美術大学のグラフィックデザイン学科で学ばれますが、そこで学んだことはいまの仕事に生かされていますか。
技術的なことは学べなかったのですが、それよりも大事な部分を教わりました。
作品を作ることの大切さを澤田泰廣先生から教わり、どう撮るかではなく何を撮るかを十文字美信先生から学びました。当時は東北新社の中島信也さんや、グラフィックデザイナーの佐藤晃一さんも教授としておられたり、大貫卓也さんや佐藤可士和さんの特別授業もあったりで、とても刺激的でした。
写真は3年生の頃から本格的に撮り始めて、その頃は身近な存在を被写体にしていました。
コマーシャルフォトグラファーが作品を撮り続けること
——アマナに入って2年目からご自身の作品撮影をはじめられています。その頃の写真はいまもWebサイトに掲載されています。
なにも持ってなかった自分が、なにかを得ようと必死になっていた頃の作品なので。 荒削りな出来ですが、初心を忘れないように今も載せています。
——当時の思い出を教えてください。
アシスタントの給料だとモチーフを満足に買えないんですよ。
だから落ちてるゴミをよく拾ってました。撮影で余った資材とかも貴重なモチーフだから、なんでも貰う。当時はスタジオがたくさんあったので、3スタジオ借りて6セット組んで行ったり来たりしな がら明け方になるまで作品を撮ってました。たまにバックヤードの機材庫でナンを浮かしたり、誰もいないカフェを深夜に荒らして撮ったり。楽しくてしょうがなかったです
シズル撮影の現場に入ることが多かったので、僕も撮りたいなと思って取り組んだのが水のシリーズです。肉眼でとらえるとができない表現がそこにはあって、水が生き物みたいで面白かった。
あるとき美味しそうなシズル写真は性的だなぁと思ったんですよ。うな重やチョコレートのいい写真ってめちゃくちゃエロいじゃないですか。 だったら水で性器を作ったら完璧なんじゃないかと。
今見ると安直な仕上がりですけど、当時はシズルの行き着く先はこれだ!と満足してしまいました。
この頃の作品は、年一回のアシスタントからカメラマンになるための試験で高い評価をいただいたんですが、恩師の十文字先生に見て頂いたら、もう撮るなって。技法が見え過ぎて中身が空っぽだと思われたんだと思います。そこからは“どう撮るか”よりも“何を撮るか”を強く意識するようになりました。
――それが「コスプレシリーズ」。『コマーシャル・フォト』( 2 0 1 7 年1 0 月)のインタビューでも大々的に取り上げらました。
撮りはじめて今年で10年になります。
ある時、コスプレイヤーの写真を見て、すごく惹かれたんです。日本特有の文化だし、漫画家を本気で目指していたこともあったのですぐに引き込まれた。 最初の頃はブック持参でコスプレイベントに通い続けてひたすら声をかけるんですけど、当時は暗い物撮りしか撮ってないからブックを見せると引かれちゃって。なかなか撮影に漕ぎ着けなかった思い出があります。見返りを求めずに好きなキャラクターを憑依させて表現する、そのエネルギーに圧倒されるし、素人の日本人女性がカメラ前で全くの別人になる瞬間は仕事では得られない感動があります。
――作品撮りにはアマナのスタジオが使えるんですね。ほかに何かメリットはありますか。
現場で一緒に頑張ってくれるプロデューサーがいて、自分が撮った写真をより上の段階にあげてくれるレタッチャーがいる。 そういう人たちと出会えたことです。とりわけ、入社したばかりの頃は制販一体だったので、 団結して走れる環境がありました。
見えない”何か”をたぐりよせて切り撮る”偶然性”
――撮影後のレタッチについて教えてください。
案件によりけりですが、合成主体であってもいい写真を目指して撮ることに変わりは無いです。最終のイメージを常に意識しないとレタッチの段階で辻褄が合わなくなるので、1発で撮れる写真とは違う想像力と観察力が求められます。その感覚が絵を描くことに近いので面白いです。
合成ありきでも予算が許す限りできるだけ1発で撮れる策を考えたいと思っているし、個人的にはしっとりしたトーンのストレートな写真が好きなので、学生の頃のように自然な環境で瞬間を切りとれる撮影を今後増やしていけたら良いなとも思っています。
――瞬間を切り取る面白さとは。
現場の何かに引っ張られてシャッターが押せるところです。本能でシャッターが押せる瞬間がどの撮影にもあり、その度に生きてることを実感します。 予定調和ではない、偶然性がある現場だと尚更強くそう感じるので、緊張と興奮が相まって撮影後寝込むこともあるくらいです。
――偶然性を意図的に作り出すんですか。
意図的には作れないんですが、引き寄せられる案件とそうじゃない案件があり、 クライアントさんとクリエイティブの方々で変わります。偶然性を望むアートディレクターの方は写真に対する造詣が深くて、いい写真が撮れる環境を企画の段階で作ってくださっています。
僕が体験した偶然性を呼び込む現場は電通のCDCにいらした正親篤さん(なかよしデザイン)が初めてでした。八木莉可子さんのポカリスエットシリーズは多くのことを学ばせて頂いた撮影です。
特に思い出深いのが、ポカリスエットゼリーの撮影です。CM連動で海外に行ったのですが、1日を丸々スチール撮影に用意して頂けて。 日中はポカリスエットの撮影をして、夕方にゼリーの撮影をしました。
海の中に撮影スタッフ全員が入るので水位が上がるごとに移動しながらの撮影になってしまい、八木さんにも負担を強いるため神経を使いました。入念にスタンバイしたのである程度のラインまでは撮れたんですが、 それを超えられる可能性が現場にあることに気付いたんです。
あと数秒で夕日が沈む時、光が鋭角に海に反射して八木さんが一瞬幻想的に見えたんです。 興奮しました。最後の1回!最後の1回!って言いながら手が震えてたのを覚えています。それまでは八木さんが海から上がった瞬間にいい位置に水滴が舞ってくれなくて焦っていたんですが、その瞬間に偶然にもいい位置にきてくれて。
八木さんの表情も特別に良くて。本当に重要なことはその瞬間にしか出てこない偶然の出来事なんだと実感しました。
――SNSで「ポケトーク」のビジュアル(画像)を「今まで見たことがない、(明石家)さんまさんのモノクロ写真を目指しました(2019年4月12日)」とつぶやいています。
ADの戸田宏一郎さん(CC INC.)からの一言が忘れられなくて。
今まで見たことがない魅力的なさんまさんのポートレートを撮影してほしい。
広告を意識すると固くなるから一度そこは忘れてほしい。
心配性なので認識に間違いがないか何度かテストしたんですが、 戸田さんからの反応がイマイチで。
追い詰められました。考え直して再度挑んだ撮影前日のテストシュートもイマイチな感触。その時戸田さんから作品を撮るようにやってみてほしいと助言を受けたんです。凝ったライティングを捨て、シンプルに正面からの1灯に変えました。 文字の見え方やセットの大きさを無視して、奥から僕と会話しながら歩いてきてもらう設定にも変えて。
狭いセットの中を歩くので切れる枚数も少なく、OKテイクも少なくなるんですが、 バミリに立って撮影することでは得られない瞬間がそこにはありました。戸田さんの望んでいたことが初めてそこで理解できました。
同時に一番大事な根本の部分が抜け落ちていたことに気づき、 どうしようもなく恥ずかしい気持ちになってしまい。学生時代に十文字先生から学んだはずなのに、社会に出て正親さんから経験させて頂いたはずなのに 抜けていたんです。
猛省した後、いつものように寝込みました。
――そのような状況に対応できるようになるためには何が必要でしょうか。
商業写真には偶然性を望まれない案件もたくさんあります。正親さんと出会うまではカンプ至上主義の世界しか僕の周りにはなく、個を出すと怒られました。何者でもない自分にお客さんは個性を求めてなかったんだと思います。3 0 半ばにして今だに怒られることも多いんですが、求められなくても隙間を見つけて色々やってみることが大切な気がしています。オペレーターのまま写真を撮り続けていると大事なことを忘れてしまうので。
制約があったとしても自分なりにそれを越えられる様な、過程も結果も大事にしていけるトレーニングが必要だと思っています。写真の力を信じているアートディレクターに出会った時にいい応えが出せるように。
――髙梨さんならやってくれる、奇跡が生まれたときにきちんとシャッターを切れると信頼されているのかなと思いますが、何が髙梨さんを、その瞬間に動けるようにしているのでしょうか。
僕の場合、緊張であったり苦しいとか怖いとかの感情が沸かないと地に足が付いてる感覚がなくて、不意に訪れたものに素早く反応出来ないんです。
歯が痛い時とか、風邪を引いたりすると、急に現実に戻された経験ってありませんか? そういう時って感覚が研ぎ澄まされて敏感になる気がしていて、いつもより味覚が鋭くなったり、聞こえなかった外の音が聞こえたりする。満たされた状態だと気づかないんです。だからネガティブな感情が僕には必要なんですけど、なんでこうなっちゃったんだろうと悩むこともあります。
――最近の最大の逆境はなんですか?
自分の拙さが原因での逆境でいうと『ポケトーク』の時です。1年以上も前なんですよ。
追い込まれる現場を経験しないと成長できないので、去年までは恵まれ過ぎていたなと感じます。
かと言ってこの1年楽をしていたわけではなく、スケジュールが許す限り案件をお受けして、 全力で撮影をしていました。ただ気付いたら、去年1日も作品の撮影をしていなかった。今までは土日も含めて、時間があれば作品撮りしていたのが、去年は仕事に終始してしまいました。
――やはり作品撮りが大事なんですね。
作品を撮ることで今の自分の調子を測れるんです。照明や美術のセッティングを一人でやるので否が応でも見えてしまう。 感覚的にスッと置いた照明がいい効き方する時や、なんとなく作った背景がしっくりきた時、シャッターを切る間隔が狭くなる時に”いいぞ、きてる”って感じで。そうやって自分と向き合うと、仕事の時にいい感覚を思い出しやすくなる。だから、今年はできる限り作品に費やす時間を作ろうと思っていて。
――2019年もあと4ヶ月ですけども、8月までは何か撮りましたか(取材は9月に実施)
コスプレシリーズがぬいぐるみシリーズになりつつありまして、海岸スタジオを舞台に撮影しています。因みに、ぬいぐるみを被っているのは僕の妻です。
もうひとつ別のシリーズでヌードを撮りはじめました。『コマーシャル・フォト』のヌード特集でお声を掛けて頂いたのがきっかけです。
怖いけどなぜか見てしまう。
フランシス・ベーコンが昔から好きなんですが、彼の描くような背徳感のある歪んだ世界を目指しています。機会があったら赤ちゃんや老人、様々な人種の方をこの世界で撮ってみたいです。
――広告と作品作りとが良い感じに二輪体制になっているんですか。
作用し合うと思っています。作品で得たものを仕事で活かし、その逆もあります。広告はたくさんの方と作れるので一人じゃ見られない光景を撮ることができ、 同時にたくさんの発見があります。作品はその逆で、一人で根詰めて作ることができるよさがある。
――そんな中で、インハウスのクリエイターで居続けることをどう思っていますか。
恥ずかしいと感じた時もあります。アマナのカメラマンと言われると組織に属していることが理由でマイナスに働くこともあるので。ただその体制も少しずつ変わってきていて、今は個人の力で頑張っていかないと生きていけない状態なので、環境はあまり関係ないと思ってます。
――12年アマナに所属して「独立しよう」と思ったことはないんでしょうか。
辞めた方が良いと助言を頂きます。
そろそろかなと感じている部分もあるんですが、入社当時からアマナに所属している意識が薄くて、普段自由にもさせてもらってるのであまりピンとこないんです。作品でスタジオも使用できるのでありがたいなと思ってます。
ここから向かう、その先のこと
――改めて、髙梨さんの目指すことは。
写真を撮るとき、常にその瞬間を残したいと思って撮っています。
流される宿命の広告写真でも、現に残っている先輩方の写真がある。
作品においてもそれは同じで、観ていただいた方に良くも悪くも何かを感じてもらいたい。ボヤけた印象でも良いから頭の片隅に僕の観た世界が残ってもらえると良いなと思っています。
インタビュー:木俣冬